
初回くらいはマジメに書こうと思ったのですがね、
本につかまってしまってこのていたらくです。
北村薫の『太宰治の辞書』を読んでいたら
「変なもんだね。若い頃だったら、まず『ちゃんと返せよ』っていったのに。
――でも、この年になると違うな。自分の好きだった本が、
友達のうちにずっと置いてあるのも、悪いことじゃない」
というのに出くわして、この一部分だけでも、この本が読めた幸せを覚えました。
デビュー作『空飛ぶ馬』が刊行された当時からの読者は、主人公や正ちゃんと一緒に
20余年の時間を過ごせたのだなと思うと、本作は本に対してだけではなく、
時間―本や人に積もった時間にも特別な視線を感じます。
それは愛おしいものでもあり、どこか、通り過ぎてしまったものへの懐かしいさびしさを
含んでいるように思えます。
この調子で10月のコミティアに何か出せるのか五里霧中ですが今日はこのへんで。
スタンダールの『赤と黒』が待っているので。

のタペンスを描きたくなって。
顔の骨格をもっとしっかりさせて、黒髪はきっちり整え、快活な口元に脳内修正してください。
クリスティの描写を読んでいると、意思の強そうな眉、少年のような瞳の女性が浮かんできます。
タペンスはTuppenceと綴るそうですが、なんとなくチューリップを連想させます。そんな女性です。
トミーとタペンスのシリーズは、作品の発表のたびに作中の彼らも歳をとっていって
その50年の歳月に、作者の愛着を覚えます。同じようなことを先週も書きましたね。
短編『おしどり探偵』は、各話のモチーフになった探偵譚との相乗効果によって
いっそう軽やかな快活劇になっている作品です。一読しただけでも愛着がわいてきます。
クリスティ作品はハヤカワの文庫がそろっているのでそちらで集めようかと思いましたが
東京創元の表紙をひらいたかこさんがお描きになっている。これは外せません。
しかしハヤカワの書影も捨てがたい。10年以上経過してもなお、各冊の表紙を飾る写真には
吸引力があります。ちらほらと残る旧版の真鍋博氏の装画にも執着しちゃう。
創元の唯一の欠点は表題をアメリカ版から引いているところでしょうか。
…訳の読みやすさは一切度外視してこういうところで煩悶としておりました。
『謎のクィン氏』『火曜クラブ』『おしどり探偵』が現時点での愛着三冊ですが、
いちばんクリスティらしいなぁと思うのは『春にして君を離れ』です。怖いくらいの切れ味。
ミステリの女王の、非ミステリ作品。クリスティの、人に対する怜悧な視線が色濃く出ています。

雪子。のようなもの。を描きたかった。
読売新聞、日曜日の折込に「アート散歩」というコーナーがありまして。
22日は谷崎文学の着物について大岡玲先生がお書きになってました。
「矢絣は少し不良っぽいはすっぱな印象でした。谷崎はそれを妻に着せて楽しんでいる。
谷崎は松子(妻)をあがめ奉っていましたが……」の一文には
(うむ)と妙に納得してしまいます。
5月10日にたまたま中公で現在刊行されている谷崎全集の特集サイトを見ていたら
ちょうど第一回配本が一年前の5月10日。運命的なものに導かれている…! と
うちふるえました。が、サイトを見るきっかけになったのは、朝の新聞の広告記事でした。
4月頃にこの全集の実物を本屋で見かけたときの、ひれ伏したくなるような美しさが
よみがえったのでした。
今年は谷崎の没後50年で著作権が切れ、青空文庫で順次読み放題なのですが、
ふとしたきっかけで思わぬ出費になりそうです。ミルキィ・イソベさんの装禎に
山本タカトさんの装画は谷崎文学にぴったりすぎるほどで、作品世界が本から
匂いたってきます。これはねぇ、おそらく物体にしかできないことですね。
新潮文庫の揃いの梅もいいですね。
そういうわけで、作りたいものが山積みなので、とりあえず期日のあるものから着手します。
少年は・・・'2016-06-03 13:13:13'
吉野朔実と望月花梨を読んでいると手を切るような感覚になります。
吉野作品はガラス、望月作品は紙で手を切る感じ、という違いはありますが。
「パリ、テキサス」''2016-06-10 13:13:13'

まだ見終えていないんですが、この場面がとても好き。
そして15年越しで、このタイトルに「一杯食わされた!」となりました。
作中、登場人物の口から明らかにされます。
キーボードを新しくしたので饒舌になるかな、と思ったのですが、
特に変わらないですね。でも、ものすごくタイピングしやすくなりました。

半年振りに起動させたインクジェットプリンターが轟々言っている間の。

こーゆーものをちまちま作っていたので、今週は読書等に費やせる時間があまりなく。
きんきらきんのヴィンテージゴールド ブロンズ。ネーム用のノートにするつもりです。

郡山市立美術館でやっている『吉田博展』に行ってきました。
風の又三郎を彷彿とさせる木々の音に包まれて、開館を待つ間も一興でした。
この方のお名前は先月、千葉でやっていた同展のことをインターネットで偶然見かけて初めて知ったのですが、ほんとうに「一目ぼれ」っていうのはあるんだなぁと思うくらい一目ぼれをしてしまいまして。ええ、ほんとうに。
版画、水彩、鉛筆、油彩…多様な画材を使って、彼が描き記した世界はこうして、90年経った今でも鮮やかに魅了します。
水面に光る水しぶきや雲間の太陽……世界のあらゆる一瞬の姿を、色彩でもってとらえます。吉田博は一つの版で、色を変えることにより、同じ情景の違う時間帯のものを表現しています。彼にとって世界は美しい一瞬の積み重ねなのでしょうね。
有名な帆船の絵や亀井戸の藤棚の絵には、水面に揺らぐ舟や橋の影が書き込まれているのですが、その、静止画であるはずの揺らぎは動的で、やっぱり時間の流れがあります。
『光る海』、この一枚を原画で見られただけではるばる来た甲斐があったと思えました。図録やA4版のカードも買ったのですが、やはり印刷だと微細な部分は再現できないようです。おうむの絵は、羽の輪郭を色ではなく、紙に筋をつけて表現されていましたが、これも印刷には出ませんね。
美術館に置いてあったちらしで、7月18日から福島県立美術館ではエドワード・ゴーリー展をやるのを知りました。吉田博展が同月24日までなので、重なる1週間のうちにハシゴしてもよいわけですね。く、くやしい。


細雪3冊とジェーン・オースティン2冊。
ちびちび進める予定が、予定外の仕事のおかげで足踏み状態。
(ここをこうして……)とぽこぽこ浮かんでくるので余計にもどかしい。
きりがよい7月1日。
今日から、一ヶ月に36枚、18枚、短編を描いてみようと
日付が変わったころに思いついたので、10月ころまで続けてみます。
コミティアのためでもあるのだ!(本音)
それにはまず、装丁のほうを終わらせないとね。

神父と元盗賊の探偵。
チェスタトンのブラウン神父シリーズから。
読んでいると、この本がいつ頃書かれたのかとても気になります。
夜の描写がとても暗い。野外はガス燈の明かりもなく、月を頼りにするような。
そのくせ、エレベーターが登場するのです笑。
小説は、それが書かれた時代や技術からも自由であるのを考えれば
もしかしたら検討違いな疑問なのかも知れませんが、
読みながら、文字によって、その舞台を頭の中に描くのは楽しかったのです。
「ブラウン神父」は、最後まで読んで種明かしをされたとき、
このトリックを使うならこの人(犯人)がこうするしかないよね…と納得するのですが、
犯人の職業とか社会的身分は一切考慮されていないのです。
(この人がこんなことするわけない)と思ってしまうある種の偏見を一切合切取り除いて
パズルのピースを完璧に組み立てるために人が配置されているようです。
作品や著者を離れて有名になっている「木の葉は森に隠せ」ですが、
このフレーズに続くのは「死体を隠したいと思う者は、死体の山を築く」なのです。
それでいて、チェスタトンのこの姿勢によって情緒的なものが損なわれているかというと
そうではない。ブラウン神父の瞳の描写に、それは顕著です。
「折れた剣」という話のラストしかり。一抹のやるせなさ。
「なんと寒いんだろう」と大きな声でブラウン神父が言った――
「葡萄酒かビールをひっかけよう」
「ブランデーもいいな」とフランボウ。
2週間前の続きです。

函です。

パカリ。

新潮文庫「細雪」3冊のためだけの函です。
装丁の赤はもっと良い色なのですが、写真では再現できず。

表の全体はこんな感じ。
外側にかぶさる箱の天と地、小口と背表紙が偶然にもそれぞれ
ちょうど対になるような柄の配置になって、ちょっとうれしい。
「細雪」という作品には、やはり白が似合うと思うのですが
新潮文庫で揃いの加山又造さんのカバーも捨てきれず。
だので、本の装丁を何色にするかと、本と函の色の兼ね合いにずいぶん悩みました。
懸案事項が一つ片付いて満足です。(他に悩むこと無いのか?)(ない)
ついでに。
オースティンの好き2作品も一緒に。
こちらはリバティの生地で。イギリスだし、と思って手芸屋で一目ぼれ。

これは、職場の執務机上に鎮座している「悪魔の辞典」の函(最右)
元々のカバーは左ですが、この絵柄を函の内側にもってきて、外は漆黒に。
中で悪魔がうごめいている感じにしたかったの。
は〜楽しかった! (完全に自己満足です)
コミティア1182016-07-22 13:13:13
10月23日、申し込みました〜。
申し込み用紙にアナログでサークルカット描くのって初めてで、
それだけで何だかわくわくしました。
チェスタトンの『ブラウン神父の知恵』を読了。
野原にすわりこんでひなぎくを摘み、花冠をつくる神父……
チェスタトン、天才か?!って悶え転げました。

思わず落書いた。
よく「ドイルのホームズと比肩される」みたいな煽り文句で紹介される本シリーズは、
ミステリに対する目線がホームズとは違うなぁと読んでいて思います。
キャラクターと舞台によってある程度作品が出来上がっているホームズものに対して、
チェスタトンはあくまでも論理とトリック。舞台というよりは風景。
それは、探偵の描写にも現れています。
頭脳の明晰さを物語る鋭い鷲鼻と、どこか時代遅れの神父服をまとった団子鼻。
良し悪しではなく違うということだけをここでは申し上げたいのですが、
100年前、すでに「ミステリ」はこれほどまでに可能性を萌芽させていたのか、と
思います。読むべきものがたくさんありすぎてうれしい悲鳴です。
「木曜の男」はチェスタトンのセンスが炸裂していて思わずメモしてしまいました。
「詩人はいつも反逆しているんだから」
「その反逆するということだって何が詩的なんだ? それなら船に酔うことだって詩的
じゃないか。あれはわれわれの胃が反逆しているんだ。反逆というのは、それだけ
取ってみれば、文字通りに胸が悪くなることで、だから、ゲロをはくことじゃないか。
(中略)なんでもうまくいくことが詩的なんだ。例えば我々の胃がいつも少しも狂わずに
食べ物を消化するということが全ての詩の基礎をなしているんじゃないか。
そうなんだ、花よりも星よりも、この世のどんなものよりも詩的なのは
消化が良くて気持ちが悪くならないことなんだ」
そこはかとなく、イギリスの小説には共通する独特の笑いがあります。
何なんでしょうね、あれ。
7月中に完成させて8月1日に送らなきゃいけないものなのですが、現時点で10%の進捗です。
先週末にのろのろ着手し始めて、平日ちみちみ編んでおりました……。やっとうっすら
模様が見えてきました。このスピードだと8月いっぱいかかりそうですね。

テーブルセンターの予定です。
7月29日は「夏空のモノローグ」というゲームの鍵となる日で、
久しぶりにプレイしたかったのですが、それも難しいようです。
残念無念また来年!
先週のアレは、間に合わせることをスッパリあきらめました。
土曜に一日編んでも15cm、予定では1m近く・・・・・・
まだ手元にあります。

ずっと前にスケッチブックに描いて放置していたものを水彩紙に写して色を塗りました。
週末はリキテックスで遊ぶ心積もりですが、果たしてどうなることやら。本も読みたい!
カーミラ''2016-08-12 13:13:13
レ・ファニュの「女吸血鬼カーミラ」。英語の原題はThe Dark Blue。
小学校の頃の愛読書の一つでした。当時、ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」と
セットで読んでいた記憶が。印象深かったのはタイトルと、カーミラという名前のトリック。
ストーリーはもとより、どんな感じの本だったのかも覚えていませんでした。
ネットでジュブナイル系の書影を色々見ましたが、どれもピンと来なくて。
ただ、フォア文庫の田中槇子さん画のものだったらうれしいなぁ……という、
執着のピントが少しずれた考えがよぎりました。そうだったらもっとちゃんと覚えてるって!
(田中槇子さんの絵は、偕成社のルパン全集や、岩崎書店?のクリスティ作品集の印象が
強いです。彼女の絵と火曜クラブの話の相乗効果はホントたまらない。)
ずっと再読したいと思っていた一冊でしたが、何のきっかけか、キンドル版に出くわして。
表紙の画像がハリー・クラークだったので抗えず。
愛らしい美しさと同時にどこか嫌悪感をもよおさせるカーミラの描写がすばらしい。
ただのゴシック・ホラー小説だろうという読者の予想をはるかに飛び越えて、
気だるさや夜への抗いがたい蠱惑的な魅力に満ちている一冊でした。
小学生の頃は、どれくらい理解していたんだろう(笑)

……のはずだったもの……。精神疾患を連想させるわね……。
ともあれ、文字や絵、映像で世界をつくりだせるのが楽しくてね、
あんまり自由すぎても困るから、制約があったほうがやりやすいんだけれどもね。
先日、アメリカの言語哲学者デイヴィドソンについての本を読みました。
「私たちが『ある』と思っているところの体系的な『言語』は存在せず、
個々人によって生み出された様々な書かれたもの、あるいは音声的な産物があるだけで、
それらの積み重ねを経験することによって、人は解釈を獲得していく」と彼は主張します。
そして、この主張を前提にして、コミュニケーションについて言及しています。
重要なのは伝達であり、心の中にあるものを誰か他の人に受け渡すことである。
しかも、あなたが相手に解釈(理解)されたいと思っているように相手が解釈(理解)する
ような語を使って、この受け渡しを行うことである。発話にはほかにも数多くの目的があるが、
しかしこれが最優先である。真と思っていることを言うとか、他者が発話するであろうと
思われるのと同様の仕方で発話するといったことは、発話の目的としては基本的でも
普遍的でもない。発話によって、意味していると受け取られたいと思っていることを意味していると
受け取られようとする意図、これがあらゆる言語的ふるまいに共通する唯一の目的である。
話し手がこの表現を使うのは、そうすることによって当の伝えようとしていることが
効果的に伝わるとみなしているからだ。聞き手はそう理解します。
これの正否は必然ではないのですが、聞き手はそう理解しないと解釈の一歩を踏み出せない。
されに言えば、話し手は聞き手が無理なく解釈できるような仕方で発話を行っているであろうと
聞き手は「見込む」ことができるということ。この「見込み」が実質性を持つかどうかは問題ではなく、
「見込み」を共有することがコミュニケーションの原理的条件です。
この原理は、聞き手に作用するだけでなく、聞き手の見込みを見込んで話し手は発話を組み立てる
ということです。これが、「意味していると受け取られたいと思っていることを意味していると
受け取られようとする意図」です。
デイヴィドソンの論は、彼の人柄は人を元気づけますね。
読みながら「うれしい」という気持ちに満たされていました。
次は竹田青嗣の「現代思想の冒険」を。
ちくま文庫から出ている版ではなく、昔の毎日新聞社からのものを。
書影が、とても、精神疾患っぽい色合いです……。
描く気力も時間も、のうございました。だので、一週間で読んだ本たちのことを。
★クリスチアナ・ブランド
先日読んだ「ジェゼベルの死」がとんでもない面白さで、続いて「招かれざる客たちのビュッフェ」を。
こっちの解説をお書きになった北村薫さん経由で知った作家でした。
熱烈なファン、センセーションをもとめて群がる大衆――芸能人にとってはありがたい存在です。
彼らは潜在意識のどこかで、なにか悲観的なことが起きるのを期待して押しよせてくる――
サーカスの見物に集まる観衆とおなじにね。
「〜ビュッフェ」からの引用。「ジェゼベル〜」ではこのようにはっきりとは描かれていませんが、
こちらは台詞からにじみ出る発話者の底意地の悪さ(=ブランドの目線)が際立っています。
「おやおや、ベッチレイじゃないの、いやな人に出くわしたもんだわ」イゼベルは眉を
しかめんばかりに小声で連れにささやくと、とってつけたように愛想笑いを浮かべる。
「まあ、ミス・ビッチレイ。ほんとに思いがけないところでお会いしたこと」
クリスティも人間の本性について割りと冷徹ですが、ブランドはその上を行きますね。
お嬢様として生まれ育ち、親の会社の倒産によって突如荒波に放り込まれ、
職を転々としながら生活していた彼女が作家になったきっかけが、
意地悪な同僚(女性)だったのいうのだからなおすさまじい。
被害者か犯人か分からないけれど、ブランドはその同僚を自分の小説に
登場させることで鬱憤を消化したという、うそかほんとかわからない話。
北村薫も書いていますが、ブランドはきっと、実際に会うとソツなくにこやかな女性なのでしょう。
ただ、彼女の人に対する目線は、自分自身さえ見下ろすほどに俯瞰(上からではない)で
そしてとても頭がいい。ものを見る視線の鋭さ、というところでしょうか。
そして、人物描写だけでなく、トリックも一流です。
はじめは躍起になって複線を拾いながら読んでいましたが、最後の一文まで気の抜けない
彼女の巧さには、もう、だまされることすら快感に思えてきました。ブラボー!
残念ながら、現在、彼女の作品はほとんど古本屋を探すしかない状態ですが、
これも、ブランド作品のあまりの面白さに、他の本が霞んでしまうと判断した
どこかの偉い人の差し金なんじゃないかと勘繰りたくなるくらい(笑)
★内田樹
たつるんの御本は折に触れ接していますが、今回は「街場のマンガ論」を。
「書く」というのはもっと自由で闊達なものだし、
そのスタイルはさまざまなものがあってよいはずである。
すべての書き物は「書くとは何か」という根源的な問いについて、
それぞれに有益で深遠な回答を含んでいる。
この一文がどれだけの追い風になることか…!
★高橋源一郎
時系列で。
今週の月曜か火曜朝。読売新聞に穂村弘さんが源ちゃんが書いてくれた書評のことを記していた。
同日昼。読んでいた「現代思想の冒険」に高橋源一郎の文字が。運命感じちゃう。
水曜昼。食事しながら「ナルニア」の衣装ダンスのことを考えた。要するに帰りたい、と。
水曜夜。源ちゃんが、「いざとなりゃ本ぐらい読むわよ」でナルニア好きであると書いていた。
なんだこの糸!? って。「高橋源一郎」という作家の存在を知ってはや5年。
折にふれ、源ちゃんのついーとやWebの記事は読んでいたのだけれど、
本媒体には手付かずで。いつか読みたい読みたいと思いつつ、実行できずにいたこの5年。
ドミノ倒しのように、一度引っかかった糸が他の糸に振動を伝えて、
今日、ここに至る。みたいな。
そして、「いざとなりゃ〜」が出た97年頃、私はナルニアに出会っているのである。
本は易々と時間を越えるね。
「食卓の魔術師」'2016-09-02 13:13:13''

佐々木倫子さんの初期作品がそろったよ。
食卓の魔術師、家族の肖像、代名詞の迷宮、林檎でダイエット、ペパミント・スパイ。
初期作品には、物語を牽引する力を持つ姉妹2人がしばしば登場していて、
菱沼さんやオーナーは2人分か、なるほど…と納得しました。

大好きなこの本を、思い立って買いました。
図書館で出会って、何度か借りた思い出とともに、
MCCやエリサが活き活きとしていることに安堵を感じます。
新聞を読んでいたら、「ルドルフとイッパイアッテナ」にも再会。
君たちもまだまだ元気だね、
一飛びで、ルドたちが忍び込んだ学校の図書室や、彼らのいる下町に行けました。

こんな感じで未だにプロットの海を漂っております。ららる〜〜。
お盆に引いたスケジュールでは、今日からペン入れなんですって!
本当は昨日から夏休みで、よっしゃー、原稿やるぞ! って意気込んでいたのに、
仕事が終わらなくて、昨日少し出勤したのですが、一時間で片付けるはずが、
仕事関係の方から肉じゃがをいただいて、タッパ全て食べ尽くしたり、
プリンタの部品を交換したり、係長の愚痴を聞いていたりしたら、
思いのほか時間を費やしてしまって……。
でも、肉じゃがが美味しかったので、全てチャラです。
お月見のお饅頭もいただいたし。
さて、現実(原稿)に戻ります。
一回休み。'2016-09-23 13:13:13' 月曜から39度前後の熱が続いていて。
お医者さんには、4日下がらなかったら肺炎の疑いあるからね、と言われ。
今日また病院に行ってレントゲンを撮ってもらったら
「影は出てないから肺炎じゃないね〜そこは安心だけれど、原因不明だね〜
一週間下がんなかったら感染症かな〜」と椅子ごと後退されながら診断されました。
月曜に、書かなきゃいけない原稿があって、熱に浮かされながら書いたら
熱に浮かされたような文章でした。あきらめました。
ここ3、4時間の間に、拍子抜けするほどあっさり熱は引きました。
なんなの、いったい。
手紙も書きたかったのにままならず、また不義理すみません。
'あっちこっち''2016-09-30 13:13:13'
ページ構成を改めたら、装丁(表紙)案も降りてきてくれたので、
ようやくエンジンかかってネームまで終わりました〜。
進捗表ぎりぎりなのに変わりはないけれど、気分的には大分楽(笑。
ネームのとき、キャラクターの外観があっちこっちしたので
キャラ表なるものを作ってみました。描きやすさ第一で!
コミティアの案内も届いたし、ようやく現実味を帯びてきました。
明日から10月なんですって!(現実) 速かったなぁ、9月……。(逃避)
肺炎になりました。
このタイミングで携帯が壊れました。
かかる費用と一緒にこの際厄も
出ていっておしまい!という気概でおります。
会社には行くなと言われているので
家で細々と原稿をしています。仕方なく。
点滴のために毎日通っている病院には『ルドルフとイッパイアッテナ』が
置いてあって、ここ数日は彼らに生かされている気がしています。
自分で所有していたのは、恩師のお子さんにどうぞとあげてしまったので
また自分のが欲しくなりました。欲望って生きているってことなのね。
問題は、コミティアまでに快復できるかってところです。
意地の見せどころですね。
先日買った時計。スイスのMONDAINE。
かわいい×抜群の視認性=∞!

俗に言うと表紙4。
印刷屋さんに頼んだ表紙が出来てきました〜。
もう少し、がんばります。(日々、PCのご機嫌を伺いながら)
でもほんと言うと、アナログでお絵かきがしたくてたまらないんだ…。
コミティアが終わったら、ドスト月間にすることに決めました。
カラマゾフ、悪霊、罪罰…また、イワンやステパン先生に会いたくて。
買ったまま5年は積んでいる地下室の手記もいい加減読みたくて。
ドストはなぜか晩秋頃に読みたくなります。夏のカンカン照りでは決してない。
今期アニメ、「ユーリ!on Ice」が楽しみです。
毎日1回再生している現状がこわいです。果ては円盤かな。
三浦しをん先生原作の「舟を編む」も7月頃から楽しみにしていました。
榊原良子さんが出演なさるのを知って楽しみ倍増。良いお声なのです…。
先日、押井守監督の攻殻機動隊でお声を聞いて、それだけで心拍数が上昇しました。
サイコパスも、榊原さんの声が作品に対する愛着をより深めているのです。好き…。

印刷データと実物に差があるので、実物を直接スキャンしてみた表紙1です。
Infoのページにはすでに掲載していたのですが、
日曜日のコミティアは、【し20a】におります。
どっきどきの製本作業がどうにか終わって、
ペーパーの準備をしたり、飾る絵も描きたいかな〜と
まだまだやることはたくさんあるようです。
夏頃に、小説家っぽいペンネームを遊びで考えていて、
どうせなら、乱歩のポーみたいなもじりが良いわね…と
クリスティでやってみたのですが、アガサで断念しました。
(来栖亭だとどうしても人の名前にはならなくて)
それで、本名のイニシャルも織り交ぜて、
「阿形一(あがたはじめ)」としてみたら、
読み方違いで「アケチ」(あ・けい・いち)にもなることに
この前気づいて、一人悦に入っていたところです。
こういう言葉の符号が私にはいちばん愉しいです。
それでは!
'コミティアありがとうございました。''2016-10-28 13:13:13''
ペーパーから一コマ。
初サークル参加でキリキリしていましたが、どうにか無事に。
久しぶりに狩りを楽しめて、スペースで戦利品をほくほくと。
で、ほんとに、ちゃんと、もっと、がんばらないとな、と思いましたので、
次は2月になりそうです。イベント終わったらのんびり〜の予定が。
その前の1月が13日の金曜日なので、これも外せないです。
道中はジェーン・オースティンの「ノーサンガー・アビー」をお供に。
宿で朝5時からチェックアウトの10時まで没頭して読んでおりました。
アレン夫人を訪問するしかない? まさに、知的貧困を絵に描いたようですね!
「私はあなたみたいに、『人にわからないくらい上手に話す』などということは
できませんから」「ブラボー! それは難解な現代語にたいする痛烈な皮肉だな」
将軍は、レディーの称号を得た娘にむかって「奥様!」と呼びかけたときほど、
娘をかわいいと思ったことはなかった。
では、この小説は、親の横暴な干渉を推奨しているのだろうか?
それとも、子供の断固たる犯行を褒め称えているのだろうか?
それは読者の皆様のご判断にお任せしたいと思う。
第一章の、当事のゴシック小説のパロディ的な人物紹介のくだりからしてオースティン節炸裂で
笑いながら読んでいたのに、締めの一文(↑引用の最後)では、か、かっこいい///!ってなりました。
ちくま文庫の解説の「若き日の戦闘的なオースティン」には首肯せざるを得ない!
今、日本でも上映している『高慢と偏見とゾンビ』のヒロイン達にも通じる強さです。
オースティンファンの呼称の一つに「ジェイナイツ(ジェーンの騎士)」ってのがあるのですが、
護られる姫どころか、鎧をまとって槍を携えながら先陣切っていくイメージで。
竹尾の見本帖本店で紙を調達し、上の階の美篶堂さんで製本用の糊とコツも。
(写真右の2つ。左のへらと竹の輪は以前、製本工房リーブルさんで。)

黒くてぬめっとした「プライク」という紙に一目惚れして、早速ノートを作っています。

開きが良いのがいいな〜と思ったので糸かがり製本です。
27日から読書週間だそうなので、ドストの「悪霊」を読み始めました。
…おかげさまで、風邪を引きました。熱っぽい状態で読むドスト! 最高です。
サークルカット''2016-11-04 13:13:13'

描きました。
今度はちゃんと人を描きました。
申込書につけたVerは一部トーンが貼られていないのですが、
余りに堂々と貼られていないので、後戻りできない状態になるまで
気づきませんでした。いいや、と思ってそのままです。
このあいだ、故郷の街を舞台にした旅番組を見ていたら
同郷の歌人の小説の引用が紹介されていて。
すべて慕(なつ)かしい過去の追想の多くは、
皆この△△河畔の美しい市(まち)を舞台に取つて居る。
(中略) ○○は「美しい追憶の都」なんだ。
そうだね、私が描きたいのもこれだよね、と魂が響きました。
小説のタイトルは、『葬列』。
ドストの『悪霊』を読んでいます。
いわば《生ける良心》として彼は祖国の前に立ち続けることができた。
(中略)もっとも、この人物はそれが望みとあらば退屈なことだとはいえ、
一生涯でもそのままの姿勢を取り続ける権利をもっていたはずだが、
ステパン氏は、実のところ、単なる亜流でしかなかったし、そのうえ、
しょっちゅう立ち疲れてはごろりと横になってしまうことが多かった。
ステパン先生(笑)
ワルワーラ夫人も、ニコライもみんなキャラが立っているので、
登場人物の紹介に150ページが費やされていても全く退屈しない!

ドスト「悪霊」から。
ステパン先生&ワルワーラ夫人のコンビもさることながら、
その息子たち、ピョートル&ニコライの組み合わせは、
読んでいて叫びたくなるくらい…なんていうか、たまりません。
「なぜ悪が醜く、善が美しいのかはぼくにもわからないんです。
でもぼくはこの差異の感覚が、なぜスタヴローギンのような人では摩滅され
失われていくのかはわかるんです」
このニコライ評は、サイコパスの槙島を思い出します。
このペースだと、来月もドスト月間になりそうです。
文化の日に、3年前にあつらえた篆刻の蔵書印を久しぶりに出してきて、
3年分の本にぺたぺた押しておりました。
久しぶりにこねた朱泥は何ともなくて、さすがですね。

文字は、好きな小説家さんの、当時の新刊タイトルから拝借いたしました。
―「書楼」。
それで、なんだか調子づいて、便箋の透かし模様などもつくってみたり。
図案はビアズリーのものを一部拝借して。
ツキネコの「バーサマーク」という透かし用インクで押すのですが、
試し押しに使った赤いインクがぬぐっても落ちなくて、ほんのりピンク…。

月曜、また思い立って、またノートを製本しておりました。
今回は、背の糸が見える綴じ方で。表紙の紙は「羊皮紙」の紅。

原稿用紙タイプのノートが欲しくて。
原稿用紙は、文章用も漫画用も、なかなか気に入ったものがなくてね。
ホントはB6で作りたかったのですが、紙の事情でA6の文庫サイズに。
紙の目も考えると、選択肢が途端に狭まりますのね。。

個人的に、具体的なスポットとしてはこのへん。
蔦に覆われた喫茶店や、古くからつづく小間物屋?の裏塀がある、河沿いの道。
この道を少し北に行くと、和紙屋さんとか古本屋さん、餅屋さんがあった。

街の象徴的な銀行の建物裏にあるバラ園の脇から入るのです。
ちょうど、道路標識と同じようなかたがたが写りましたね。
この道は、そういう時間の流れ方をしています。

会社の、ちょっと大きなところから頼まれ物をしていて、
内心ぷんすかしながら描いています…。
僕のドスト耽読時間を奪われたこと、一生許しません、みたいな。
悪霊の下巻から。
「きみは太陽です、ぼくなんかきみの蛆虫ですよ……」
彼はだしぬけにスタヴローギンの手に接吻した。
悪寒がスタヴローギンの背を走り、彼はぎくりとしてその手を引っこめた。
なんなの、ドスト、最高じゃない?
ページ数で原稿料が決まっていたという当時のしくみに感謝しています。
先週の続き''2016-11-25 13:13:13'

つまり、他に何も描いていない。
またまたドスト悪霊から。
「なぜ悪が醜く、善が美しいのかはぼくにもわからないんです。
でもぼくはこの差異の感覚が、なぜスタヴローギンのような人では
摩滅され失われていくのかはわかるんです。」
あと、シャートフとキリーロフのやりとり、
暗雲垂れ込める空模様に一瞬の雲の切れ間のよう。
「じゃ、もらっていくよ。あした返す。ああ、キリーロフ!」
「奥さんというとスイスにいたあの人かい? それはいい。
きみがあんなふうに駆けこんできたのも、やっぱりいい。」
ほんと、上下巻読むのに一ヶ月だなんて!
まとまった時間が欲しいと切に思うわけですが、
まとまった集中力があるでもなし。
読了しました。
今日もまた胸に痛みあり。
死ぬならば、
ふるさとに行(ゆ)きて死なむと思ふ。
と詠っている男、啄木が、久しぶりに帰郷した男の視点で書いた小説。
これ書いたの私かよ…って、お布団の中で読みながらめそめそして、
物書きになろうと初めて思ったよ。(思考回路がめちゃくちゃだ。)
作中にはなじみの狛犬さんたちも登場していて、小説が書かれた100年前の当時も
彼らはあの場所で、眼下の街並みを眺めていたんだなと、時間と場所がつながっていく
感覚を覚えました。いとおしい・・・。
「悪霊」も無事読み終えて、初読の時と同じところ(スタヴローギンの手紙)で
胸がつかえたり、新しい発見もたくさんあったりで、ドスト熱です。
はじめて得た幸福の実感とその後に自覚した己の有罪って流れは、
「罪と罰」とはまた違ったアプローチなのだけれど、ロジオンもニコライも
ドストの産物なんだなってわかります。
それで、話はちょと変わって、NHKでやっているBBCドラマの
「そして誰もいなくなった」(もちろん、クリスティー原作)にも
登場人物たちが罪にうなされている(=罰)って描写があって
(ドストだな…)と思いました。ドストを読み始めると、身の回りの
あれこれがドスト関連に見えてきます。ふしぎだね。
久しぶりにアナログでカラー絵を描いた気がします。
ユーリ!のヴィクトル。楽しかった。


追憶の都。
岩波ブックセンター、10月下旬にふらりと立ち寄って、
祖父江慎さんがデザインした「心」を手に取ったのが最後になりました。
「地下室の手記」を読み始め、他にもやりたいことたくさんありますが、
2月コミティアの締切は1か月を切っているので、原稿やらねば。
今回、3500に4100の申し込みで、落選ありだそうですが。こわや、こわや。
BBC「そして誰もいなくなった」、伏線回収のエグさがたまらない……
貴女はそんな女でしたよ、クレイソーンさん。
クリスティの小説ではHowが主眼でしたが、Whyが気になるドラマ。
そしてなにより、(さあ、己の罪の亡霊に苦しめよ)と
期待して見ちゃう視聴者の心情を炙り出す…さすがのBBCってかんじです。
ポメラの最新機種を買いました。書くぞー!
'アガペー''2016-12-16 13:13:13''
ユーリ!! on ICEというアニメに出会えたこと、
このアニメを毎週の楽しみにできた僥倖に感謝。
もちろん、作り出してくれた方々には最大の賛辞を。
私たちがこの世界で無意識にでも築いてしまっている壁が
作中にはなくて、多様な愛にあふれている…そういうアニメの世界と
こちら側がゆるやかにつながっていてくれる。
ドストの「地下室の手記」から。
この愚にもつかぬこと、気まぐれ以外の何物でもないことが、実は、諸君、
この地上に存在するいっさいのもののなかで、ぼくら人間にとって何よりも
有利なものかもしれない(中略)
というのは、すくなくともそれが、ぼくらにとっていちばん大事で貴重なもの、
つまり、ぼくらの個と個性とをぼくらに残しておいてくれるからである。
親指シフトなる入力方法を練習中です。気まぐれで。
今はポメラでだけですが、今週末にはPCのほうも設定します。
とりあえずポメラで百人一首を入力してみました。まず一周。
買って4年ほどになるかるた札を初めて有効活用しました。
*夜追記。レンタルサーバの障害で接続できなくなってました。
「そして誰もいなくなった」''2016-12-23 13:13:13''

2週続けてユリオ。ほんとに、この子がキーパーソンだったね。
『地下室の手記』と『そして誰もいなくなった』を読了しました。
「彼女もまたまじめに心から愛されたことがあり、丁重な言葉をかけられたことがある…」
「彼女がこうすることを、ぼくは予期できただろうか? いな。ぼくばあまりにもエゴイストで、
現実に人間を尊敬するということがまるでなかった……」
地下室〜のこのあたりがよかった。ドスト節。
そして〜を読んでいたら、クリスティの真骨頂は『春にして君を離れ』
じゃないの! と心の中で湧き上がる声に抗えなくなって、こちらにも
着手するところです。ついでにこないだ新聞で見かけた、大野晋と丸谷才一
の共著、 『日本語で一番大事なもの』と、ついでのついでに丸谷さんの
『思考のレッスン』を借りてきました……。谷崎潤一郎の『文章読本』も
積読だったな…と脳の片隅が点滅し始め、原稿の雲行きは着手前から怪しくなりぬ。
'よいお年を''2016-12-30 13:13:13'

2月のコミティア、スペースをいただけたので原稿してます。
シャカリキファイトブンブンで正月休みはずっと原稿。飽きたら読書。
次は、鳥と男子高校生。ファンタジーだと思いながら創ると
だいぶ気が楽になるのに気づきました。
私の下地は活字なので、多分絶対文字書きのほうがうまくできるのに、
マンガの間合いとか視線誘導が好きで、描かずにはいられない…
丸谷才一さんの「夜明けのおやすみ」に「細雪」考があって
「人間はある社会的な条件を、自分自身がそのなかにゐるときには見ることができない。
(中略)かつての安定してゐた世界、ついこないだまでは自分もそのなかにい住んでゐて、
そして今は外国のやうに、あるいは外国以上に遠のいてしまつた世界、それをこれだけの
精細に卓抜な筆力で描き再現してくれたこと―(中略)
いはばわれわれの過去への思慕なのである。」
このとおりすぎて肯くしかなかったです。「細雪」を、戦前の平和な時代でも、
戦後でもなく、日本が太平洋戦争をしている真っ最中に書いたっていうのが谷崎のすごさ。
さて、来年もお付き合いいただけるなら幸いです。
良いお年越しを!